傾奇者の武将③織田信長

傾奇者の武将といえば織田信長、前田利家、前田慶次が挙げられますが、
今回は織田信長の傾奇者具合を見ていきましょう。

織田信長は武将の中でも最も有名ですが、実は相当な傾奇者であったそうなのです。

傾奇者とは奇抜な行動を好んだり、目立つ装束を身に着けたりして普通の人からはかなり異なる行動をしていた人たちの総称です。この傾奇者たちの踊り、傾奇踊りが歌舞伎の元祖ともいわれています。

話は戻りますが、織田信長は幼少から奇行が多く、「尾張の大うつけ者」と呼ばれていました。信長の父、信秀の死後18歳で織田家の家督を継いでいますが、その後も奇行が続き、とうとう、教育係の平手政秀がそれを諌めるために切腹をしたという話まであります。
信長は母親の愛が弟に偏り、実母から愛されなかったという、不憫な時代を過ごしています。このことが奇行に繋がっているといわれています。

傍若無人な振る舞いで人々からは「大たわけ」「うつけ」と呼ばれ、18歳の時の
父、秀信の葬儀にも傾いた服装で現れ、抹香を仏前へ投げつけるという、奇行をを行ったとされています。

他にも傾奇者の武将としては前田利家、前田慶次がいますが、
こんなに有名なのにかぶき者であったというのが非常に意外ですね。

ちなみに前田慶次は「花の慶次」という漫画の中で、

これでもか、というほどにかぶき者っぷりをみせてくています。
また、花の慶次の続編の「義風堂々!!」という漫画では

前田慶次の莫逆の友、直江兼続もまた傾奇者であった、ということを紹介しています。

義風堂々の公式サイトはここから

wellenetz